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ヴィルヘルム・リヒャルト・ワーグナー (Wilhelm Richard Wagner)の画像

1813 - 1883 ドイツ(Bundesrepublik Deutschland)


R・W・ワーグナーは1813年にザクセン王国・ライプツィヒで生まれました。一家が音楽好きであったこともあり、ワーグナーはカール・マリア・フォン・ウェーバーとベートーヴェンから強い影響を受けて音楽家を志します。

1831年にライプツィヒ大学に入学し、哲学や音楽を学び、翌年1832年に交響曲第1番ハ長調を完成させ、時を同じくして最初の歌劇『婚礼』を作曲します。1833年にヴュルツブルク市立歌劇場の合唱指揮者となり、その後、歌劇作曲家を目指しますが芽が出ず、貧困と借金に苦しんだようです。

1836年に女優のミンナ・プラーナー(Minna Planer)と結婚します。1842年にドレスデンで歌劇『最後の護民官リエンツィ』、『さまよえるオランダ人』を上演して大成功を収め、翌年ザクセン王国宮廷劇場指揮者に任命されます。1844年にはイギリスで客死したウェーバーの遺骨をドレスデンへ移葬する式典の演出を担当し、葬送行進曲とウェーバーを讃える合唱曲を作詞作曲します。1845年には『タンホイザー』、1848年には『ローエングリン』を作曲して好評を博します。

1849年にドレスデンで起こったドイツ三月革命の革命運動に参加しますが、運動は失敗し、全国で指名手配されてフランツ・リストを頼りスイスへ逃れます。スイスでは数年間を過ごし、数々の作品を生み出します。

バイロイト祝祭劇場(Festspielhaus Bayreuth)の画像
バイロイト祝祭劇場

1866年に妻ミンナが病死し、リストの娘で指揮者ハンス・フォン・ビューローの妻だったコジマと再婚します。1872年にバイロイトへ移住し、ルートヴィヒ2世の援助を受けて、ワーグナーが長く夢見てきた彼自身の作品のためのバイロイト祝祭劇場の建築を始めます。劇場は1876年に完成し、『ニーベルングの指環』が華々しく上演されます。

1882年に最後の作品となった舞台神聖祝典劇『パルジファル』を完成させてバイロイトで上演しますが、翌年83年2月13日、旅行先のヴェネツィアで心臓発作に襲われ、生涯を閉じました。


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